困っている人は放っておけない
代表取締役
三浦 一正
当社における電気工事との関りは遡ること昭和9年,祖父兼太郎が元宇鉄の沢に建設された汽力発電所の見習い電工となったことに端を発します。その後,発電所は青森県電気局,東北配電,そして東北電力と継承されました。兼太郎は電工に従事する傍ら,漁業にも勤しみました。
父一男は漁業を専門としていましたが,生活の安定を求めて,電工職となります。地域の電気工事会社に勤め,東北電力とともに三厩エリアの電気の安定供給を支えました。一男は技術研鑽を積み,昭和45年,ついに三厩の地で電気工事業を始めます。
しかし,経営は苦しいものでした。東北電工の協力店としての認定が取れず,電気工事業の赤字を,北海道奥尻での漁業で穴埋めし,企業を存続させました。社員一丸となり,歯を食いしばって乗り切った時代でした。その後,青函トンネルの工事着工と合わせ,晴れて東北電工の協力店として認定されます。昭和50年には株式会社となりました。
東北電力の配電線工事はもとより,三厩という地の利を活かし,青函トンネルの電気工事の大半を担う企業に成長しました。現在は,青森市と三厩の二ヵ所に事務所を構え,東北電力ネットワーク株式会社の配電線工事や低圧事故修理、調査等の受託業務(配電パートナー契約)に加え,高圧需要家や再生可能エネルギー関連の内線工事まで業態を広げています。
このように当社は旧三厩村の電化勃興の時代から電気工事業に携わり,地元に育てられてきました。その特徴は何と言っても,家族のような組織形態と地域との一体感です。従業員の親・兄弟はもとより,地域のお客さまとも強いつながりを持っています。そうであるからこそ,逆説的に,地元・地域の電気の安定供給に責任を持っております。
お客さまが困っていたら放っておけない。私たちにはこうした信念が貫いています。また,最近では社員の自己啓発を奨励しています。青森県は地理的な特徴から再生可能エネルギーの開発がすすんでおり,当然のごとく電気工事の需要も高まっています。このような環境変化に対応していくため,社員一人一人のスキルアップは欠かせません。社内勉強会を開催し,社員同士の切磋琢磨をとおして,組織力の向上を図っています。
当社としては,電気工事のプロフェッショナルとして今後とも電気の安定供給に貢献するとともに,ひいては電気をとおした地域の発展に貢献してまいります。
後継者の専務と共に